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日本教育史資料
八/旧佐賀藩学制
学事上の諸制度
宝永五年八月、聖堂心遣、人才取立等、実松元林〈江〉被仰付、〈聖堂之事は詳于後〉丹後守吉茂代
正徳三年十二月九日 家老鍋島主水〈江〉
御先代御建立被成候聖堂の儀、御家中之者共為学問候処、及近年は、諸人風俗惡敷、利欲之事而已にて、学問の沙汰も無之、聖堂も大形に罷成由被聞召、甚以不可然事候、依之右役、其方江被仰付候条、御家中之諸士、学問に心お寄、風俗もなおり、於聖堂も、弥物立候様に、其心遣可被仕候、其方儀、内々学問方にも心掛の由被聞食、傍に付而右役被仰付候間、以吟味了簡可相勤旨被仰出候也、
右大木兵部お以仰渡之、其仕組等之義、石田平左衛門、諸岡彦右衛門、竹内権右衛門抔、内話可有之旨、〈右三人は年寄役なり〉
信濃守宗茂代 享保十七年子六月十一日、鬼丸聖堂の儀、御国中道芸の要場にて、諸生日々経義お講明いたし、上下お教化し、風俗お正し、政道お輔け、専ら勧戒お施すべき旨、御先代御家中にも、毎度学問お励み、忠孝お専にすべき旨仰出さるといへども、其志厚からず、殊に百姓町人などは、出入さへ用捨いたし、隻今の通にては、勧学の御賢慮、下に相達せず、此に因て門人の内、人才徳行お選み、日々輪番に経書お講釈せしめ、勿論諸組、並に百姓町人迄も聴聞いたし、学風興起せしめ度由、実松林左衛門より奏議するの旨、諸役所より上聞す、公聞沼され、弥上下に限らず、学間お勤め、忠孝お励み、政道お輔翼せしむべきの旨仰出さる、御家中郷内山内津内町家まで御触あり、此時鍋島主水え学問方頭人被仰付、