[p.0005][p.0006]
今昔物語
二十五
藤原親孝為盗人被捕質依頼信言免語第十一
今昔、河内守源頼信朝臣、上野守にて其国に有ける時、其の乳母子にて兵衛尉藤原親孝と雲者有けり、其れも極たる兵にて、頼信と共に其の国に有ける間、其の親孝が居たりける家に、盗人お捕へて打付て置たりけるが、何がしけむ枷鏁お抜て逃なむとしけるに、可逃得き様や無かりけむ、此の親孝が子の五つ六つ計なる有ける、男子の形ち厳かりけるが走り行けるお、此の盗人質に取て、壼屋の有ける内に入て、膝の下に此児お掻臥せて、刀お抜て児の腹に差宛てヽ居ぬ、〈○中略〉守盗人に仰て雲く、女は其の童お質に取たるは、我が命お生かむと思ふ故か、亦隻童お殺さむと思ふか、〓に其の思ふらむ所お申せ彼奴と、盗人詫し気なる音お以て雲く、何でか児お殺し奉らむとは思給へむ、隻命の惜く候へば、生かむとこそ思ひ候へば、若やとて取奉たる也と、守おい然るにとは其の刀お投げよ、頼信が此許仰せ懸けむには、否不投では不有じ、女に童お突せてなむ、我れ否不見まじき、我心ばへは自然ら音にも聞くらむ、慥に投げよ彼奴と雲へば、盗人暫く思ひ見て、忝く何でか仰せ事おば不承ら候はん、刀投げ候ふと雲て、遠く投げ遣つ、児おば押起して免したれば、起き走て逃て去ぬ、〈○中略〉親孝は盗人お斫ても棄てむと思ひたれども、守の雲く、此奴糸哀れに此の質お免したり、身の詫しければ、盗おもし命や生とて質おも取にこそ有れ、惡かるべき事にも非ず、其れに我が免せと雲に随て免したる、物に心得たる奴也、速に此奴免してよ、何か要なる申せと雲ども、盗人泣きに泣て雲事無し、〈○中略〉