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宇治拾遺物語

むかし右近将〓下野原〈○原恐厚誤、下同、〉行といふもの有けり、〈○中略〉年たかくなりて西京にすみけり、となりなりける人にはかに死けるに、此原行とぶらひに行てその子にあひて、別のあひだの事どもとぶらひけるに、此死たるおやお出さんに、門あしき方にむかへり、さればとてさてあるべきにあらず、門よりこそ出すべき事にてあれといふおきゝて、原行がいふやう、あしき方よりいださんことことにしかるべからず、かつはあまたの御子たちのためことにいまはしかるべし、原行がへたでの垣おやぶりて、それよりいだし奉らん、かつはいき給たりし時、ことにふれてなさけのみありし人也、かゝるおりだにもその恩お報じ申さずば、なにおもつてかむくひ申さんといへば、子共のいふやう、無為なる人の家より出さん事あるべきにあらず、忌のかたなりとも、我門よりこそいださめといへども、僻事なし給ひそ、たゞ原行が門よりいだし奉らんといひてかへりぬ、〈○下略〉