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川角太閤記

吉川駿河守元春陣屋へ、小早川左衛門允隆景、宍戸備前守寄合、〈○織田毛利和議〉談合の次第は、今日の拓言紙は破りても不苦候、だまかされ候ての儀にて候と、吉川駿河守被申様には、か様の時にこそ、馬お乗殺せよはや〴〵と進め給ふ事、
一舎弟小早川左衛門允隆景は、右には一言も不出ず、暫工夫して被申出様子は、元春御意御猶にては、御座候へ共、昔より今に至まで、何事にも付ものゝかためは、書物誓紙お鏡に仕ものにて候へ、父にて候元就公御死去の時仕候誓紙には、隻今の輝元公お、兄弟共として取立よとの誓紙被仰付候、時日の下の判は、元春公被成候、其次には私仕候、さて兄弟四人仕、元就公御命の内に御目に懸候事は、昨今の様に覚候、其誓紙元就公戴、一つは元就公の御遺言に、我くはんへ入よ、一つは厳島の明神へ奉籠よ、一通は輝元公へ上げ置申候、此二通は隻今も御覧候へよ、条数の内に、毛利家より我死して後天下の不可心懸と一の筆に御座候事、
一今日の起請文お破り候得者、めいどに被成御座候、父元就公への別心也、一は厳島の明神の御罰、又は五常の礼儀の二つおも破に似たり、羽柴筑前守、国本播磨へ帰城候との一左右お聞召届られ、其上にては御馬お被出候ても不苦と、達而兄の元春へ異見被申ける、元春も隆景に道理に被攻、なま合点に納申候、