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朝鮮征伐記

蔚山おせむる事
幸長〈○浅野〉手の者木村頼母それがし、しのび出て申達すべしとうけごひけり、廿三日の夜、しのび出て、二日路ある、くちやんまで、廿五日のあかつきゆきけり、清正たいめんあれば、しか〴〵のよしお申せば、清正きくとひとしく、はやぶねこしらへよ、一騎なりとものり出すべし、我弾正と約おなせり、幸長おうたせては、生て日本にかへり、何の面目あつてか、弾正にまみえんや、とても死なんいのち、幸長と一処にはつべしとぞおほせける、清正内々うるふさん普請心もとなし、うちまはりせんと、舟共用意せらるゝおりなれば、近習のさふらひ、五百騎ばかり、ふね十余艘にとりのり、おし出しける、心のうちこそすさまじけれ、機張の城は、すてゝもくるしからず、ふさんの大しやう達に、いそぎうしろまきせらるべしと申つかはし、ふねにとりのりける、