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常山紀談
十四
古田助左衛門は古田兵部少輔重勝に仕へて、禄千石お受く、景勝お征伐の時、重勝伊勢の松坂の城に助左衛門お置れけり、〈○中略〉重勝も東国より帰り来り、松坂にたて籠る、此時富田信濃守信高、阿濃津お守られしが、加勢お重勝に乞ふ、兵お分ちやるべき体のなかりければ、助左衛門阿濃津へ加勢あらん事、猶望む所なり〈○中略〉と勧めて、五百人の軍兵お阿濃津にやりけり、やがて重勝の領知の百姓の中に、大家なる者二十人お士として城にこもらせ、後に百石の地おあたふべしと約しけり、是人質の心にて百姓おさわがせじとの術なり、関け原の乱治りて後、重勝約に背んとせられしかば、助左衛門信お失ふは君の道にあらず、かゝる言葉は金石よりも堅くすべき事なり、是より後又欺んとて、百姓ども何事も聞き入れ候はじ、信なくば立ずと申事の候、臣が禄地お分ちあたふべしといひければ、重勝約の如くせられけり、