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孝義錄
四十三/筑前
奇特者彦一
彦一は、宗像郡田隅村の百姓なり、父の世にありし時、人より米お借うけし事有し、かへすべきたよりなくて、とかくするほどに、病てうせぬ、そのころ彦一は、まだ幼くしてがゝる事ありともしらざりしが、生長の後に、かくときゝ及びて、久しくすておきし事お悔なげき、人して米の主にいはせしは、むかし父の貧しきにせまりて、そこの米かりけるが、ついにかへす事なくてうせぬ、しり得ぬ事とは申ながら、年月かゝる事おすておきたるおこたり、申べきやうなし、今はいさゝかのたからもいできぬれば、父のかりうけし年よりの利足おくはへ、米と利銀おかへさん程に、うけとり給はれとぞいひやりける、米の主も、彦一が志に感じて、深くよろこびしかど、人の困窮お見るに忍ずして、かしあたへたる米なれど、もとより返弁お望む心更になし、さればかへさるゝともうけとるべき事、思ひもよらずとてうけひかず、たがひにしばしゆづりあひしが、後は庄屋長百性などあつかひきこえけれど、事ゆかざりし程に、やがて領主に訴へ出ければ、二人ともにたぐひなく潔き者なりと称美して、彦一には父の借うけし米のかずに、一年の利お加へてかへすべし、米の主は、いなまず是おおさむべしと裁判しければ、ついにかた〳〵言葉なくして事すみぬ、是天和のはじめのことなりき、