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明良洪範

完文七年、大火伝馬町牢屋敷類焼の時、石出帯刀罪人共お悉く召出し申渡しけるは、今急にして此所遁る可らず、女等お焼殺さんも不便也、牢よお出す間、心の儘に立退べし、火鎮りて三日の中に帰るべし、其者共は申立て命お助くべし、若亦逃隠し帰らざる者共、従類にも罪お懸け、其身は何れに忍び居る共、日本中お尋子出して、重科に行ふべし、十一年以前、丁酉の歳の大火に、浅草橋にて大勢命お失ひしは、女等が類の牢舎人也、今度は帯刀が了簡お承りて、命惜くば立帰るべしと申渡し、追放しける、牢の焼しは二月六日也、七日には残らず立帰りし内、三人見えざりし、是は腰の立ざる者なりし故、焼死たるにや、其後其事申立て、其帰りし者共皆赦され、其中必死に当る者共は、薩摩の島へ流さる、