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吉備烈公遺事
津田永忠、〈左源太〉十六七の頃にや、寝ず番して居たりしに、公〈○池田光政〉今の自鳴鐘は、何時お打たるやと、問せ給ふ、永忠承り、隻今寐入候て、知らずと申す、公黙しておはします、夜明けて、永忠が座お立けるお見給ひ、事おなすべき男なりと、独り言し給しが、永忠十八の時、目附職お被命けり、其日執政の人々、公務終りて後物語有しに、永忠末席より、此所は長噺する処にあらずと譏けり、大臣たち、公の御前に参、爾々のことの候ひき、二十にも不足ものヽ、あまりなることなりと申せしに、公偖は予が視る処たがはざりき、思ふこと憚る処なく雲ん者なりと思ひたりしに、果して然なりと、仰けるとぞ、亦永忠御前に参て、申ことの有ける後に彼の者は馭者あしくば、国の禍おなすべき也、才は国中に独歩せりと宣けり、