[p.0022]
塵塚談

本郷御弓町に忠直なる人在せしなり、憲廟〈○徳川綱吉〉の御代より惇廟〈○徳川家重〉御代迄、重き御役勤仕し給ふ、致仕の後嫡君勤仕の所、宝暦三四年之頃病死なり、その嫡子五歳ゆへ、親族衆家来までも、年増の事お老君へ窺ければ、以の外立腹にて、我等事是迄偽お申上候事一言もなし、若短命にて家断絶する共、是非もなき事なりとて、正直に五歳の書上なり、家士薄氷お踏が如くなりしが、誠に正直の頭へ仲やどり在といふ、恙なく成長いたされけり、