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保元物語

新院御謀反思召立事
宇治左大臣頼長と申は、知足院禅閤殿下忠実公の三男にて御座す、入道殿の公達の御中に、殊更愛子にて御座けり、〈○中略〉賞罰勲功お別ち、政務おきりとほしにして、上下の善惡お被糺ければ、時の人惡左大臣どぞ申ける、諸人加様に恐れ奉しか其、真実の御心向は極て濡(うるはし)く御座、怪の舎人牛飼なれども、御勘当お蒙る時、道理おたて申せば、細々と聞召て、罪なければ御後悔有き、又禁中陣頭にて、公事お行せ給ふ時、外記官史等勇させ給ふに、あやまたぬ次第お弁申せば、我僻事と思召時は、忽に折させ給て、御怠状お遊て、彼等にたぶ、恐お成て給はらざる時は、我好思召怠状也、隻給り候へ、一のかみの怠状お、以下臣下取伝ふる事、家の面目にあらずやと被仰ければ、畏て給けるとかや、誠に是非明察に、善惡無二に御座す故也、よも是お以て成奉り、禅定殿下も大切の人に思召けり、