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北条九代記

時頼入道与青砥左衛門尉政道閑談
正直の者十二人お撰び出し、密かに鎌倉中のありさまお、尋ね聞しめらるヽ所に、青砥左衛門尉藤綱が申すにたがはず、これによつて、評定衆お初めて、非道のともがらお記さるヽに、三百人に及べり、時頼入道これらお召出し、理非お決断し、科の軽重にしたがひて、当々に罪し給ひけるが、時頼仰せありけるは、往昔義時泰時宣ひ置れしば、頭人評定衆のこと、この一家一門の人に依べからず、智慮有て、学おつとめ、正直にして道お嗜み、才覚もあらん人お撰み出して定むべしと、然るお近代、時氏経時よりこのかた、評定はたヾその家にあるがごとし、其子孫、或は愚にして、理非に迷ひ、或は姦曲有て、政道の邪魔となる、これ亡国の端にあらずや、諸人の悩み、これに過べからずとて、器量の人おえらびて、諸国七道に使お遣はし、諸方の非道お尋ね探らる、探代、目代、領主たるともがら、無道猛惡のもの、二百余人お記して、鎌倉に帰る、時頼入道、是お点撿し、科の軽重にしたがひて、みな罪に行なはる、有がたかりける政道なり、