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十訓抄
十二
小一条左大将済時卿の六代にあたりて、宗綱の子宮内卿師綱といふ人有けり、白川院に仕へけるが、させる才幹はなかりけれども、ひとへに奉公さきとして私おかへりみぬ忠信なるによて、近く召つかはれけり、そのしるしにや有けん、陸奥寺になされにければ、彼国にくだりて撿注お行ひけるに、信夫の郡司にて大庄司季春といふ者、これおさまたげけり、国司宣旨お帯しておさへてとげんとするほどに、季春ふせぎとゞめんがために、試に兵むかふる間、合戦に及びて国司方に人あまた打れにけり、国司大にいかりおなして、事の由お在国司基衡にふれけり、此事おどしにこそせさせたりげれ、国司のこれほどたけくてたゝかひすべしとまで思はざりければ、基衡さはぎて、季春およびて、いかゞすべきといひ合けるに、主命によりて宣旨おかへりみず、一矢は射候ひぬ、この上はいかにも違勘のがれ候べきにあらず、季春が頸お切て早く国司の心はしづまり給はんなれば、我はしらずがほにて、季春が一向とがになして、切て身おやすくしたまふべしといひければ、実に此外は平らぐべき力なく覚えて、歎ながら国司の返事に申けるは、例なき撿注お行ふに付て、季春ことのやうお申のぶる計にこそ存候つれ、かくほどの狼藉出来事申てもあまりあり、ことに恐れおもひ給へり、基衡つゆ不知及侍れば、早撿見お給て、季春が頭お切て奉るべき旨申ける、かくは聞へつ、つく〴〵是お案るに、季春代々伝れる後見なる上乳子なり、主人の下知によりてしいでたる事ゆへ、忽に命お失ふ事、せちにいたましく覚えければ、とかく案じめぐらして、我妻女お出立て、よき馬どもお先として、おほくの金、鷲の羽、絹布やうの財おもたせて、我はしらぬ由にて、季春が命お乞請させんがために、国司のもとへやる、妻女目代おかたらひて、季春がさりがたく不便なるやうお、詞おつくして、ひらに彼が命お乞うけけり、目代執申に、国司大に腹立て、季春国民の身にて、かくほどの僻事おし出たる、公家に背き宰吏あなづりて、其科すでに謀反にわたる、財お奉ればとてなだめゆるさん事、君の聞召れん其恐れ多し、人の譏又いくばくそ、此事更に申べからずとぞいはれける、昔殷紂の西伯おとらへたりけるに、大顚閎夏のともがら、善馬以下宝お奉りてゆりにけう、是はそれにもよらざりけれぱ、其妻申かねて帰にけり、そのゝち撿非達使所書生お実撿使に指遣はすによりて、基衡力及ばず、なくなく季春並子息舎弟等五人が頸お切てけり、さてこそ国司しづまりにけれ、国の者どもいひけるは、季春が命おたすけむために国司に贈所の物、一万両の金おさきとして、おほくの財也、殆当国の一任の土貢にもすぐれたり、是お見入給はず、女にもかたさらずして、ついにためしお立給へる、国司の憲法たとへおしらずとそほめのゝしりける、かゝりければ国併なびきしたがいて、思さまに行ひたり、吏務感応前々の国司よりもこよなうおもかりけり、後に君聞召ていみじく御感有けるとそ、〈○又見古事談〉