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澀柿
明恵上人伝
義時〈○北条〉朝臣逝去して後、天下の事掌に握られける最初に、丹波国に大庄一所、栂尾に寄進せられたりければ、上人被仰けるは、かゝる寺に所領だにも候へば、住する僧ども、いかに懶惰解怠にふるまふとも、所領あれば、僧食事闕まじ、衣裳補ぬべしなど思ひて、無道心なる者つゞき居て、弥不当にのみ成行候べし、寺のゆたかなるに付て、児ども取おき、酒もりし、兵具おひつさげ、不可思儀のふるまひ不可勝計、さもと有山寺の、仏のいましあにたがひて、浅ましく成行ば、是より事おこれり、隻僧は貧にして、人の恭敬お、衣食とすれば、自放逸なる事なし、信々として誠しく行道する所は、さすが末代なりといへども、十方旦那の信仰も甚しければ、自然に法輪も、食輪も盛也、不律、不如法の僧侶の、肩おならぶる処は、隻僧家謗法の罪お、あたふるのみにあらず、合力貴敬の輩もなければ、随日衰微して、荒廃の地とのみなれり、されば共に誠の本意にはあらねども、二おくらぶれば、人の貴敬せざらん事に、はゞかりて、不律儀にあらずば、暫法命お継方はまさるべく候也、又所領のよせてよかるべき寺も候はんずれば、左様の所に、御計なんとも候べし、かゝる寺に、所領なんどの候はんは、中々法の為よろしからじと覚候、返々かやうに仏法お御崇候事、有難候へども、此所に限ては、存旨候とて、返し給ひけり、