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志士清談
中村式部少輔一氏之従者大薮新右衛門と雲武士あり、戦に臨ては勇敢にして功名お不争、利禄お不貪、世に処ては真実にして虚妄お不行、才力お不恃、秀吉小田原の北条氏政お伐時、山中の城お攻るに、大薮は渡辺勘兵衛より先に進て、而も城兵と鎗お接したれども、其所異なるが故、秀吉の褒美に預らず、一氏も亦秀吉褒美の詞に由て、渡辺に禄お増て、大薮お、賞する事薄し、然れども大薮終に怨言お出さず友人謂て曰、功彼より勝れて、禄彼より少し、禄は所言に非ずとも、為之に功の隠るヽ黙べからざるか、大薮が曰、我お以恇しとせば、武士之義お失に似たり、訴之とも罪なかるべし、朋友皆我功お知て、我禄の少きお愍む、されば我不訴して我功隠なし、又何おか訴ん、功の優劣は勇怯に繫ると雲ども、時論の曲直あり、曲て優んよりは、直して劣お善とす、況禄の多少は、古より貧富に因て勇怯に不因おや、後紀伊大納言頼宣卿に仕へて、禄千石お受けたり、交お厚する者渡辺と比べて、禄僅に二十分の一なることお雲て傍より憤る、大薮が曰、不然、渡辺が豊禄は、名お售節お飾、人に偽世に媚てこれお得、此に由て過たりと雲て、非笑する者十に七八あり、利の上より観之ば幸なり、義の上より観之ば不幸なお、我も豊禄お得の道お不識にはあら、ず、利お拾て義お取て、敢て名お售ふ節お飾り、人に偽り世に媚ことお不為、交お厚する者聞之て嘆服す、大薮が若きは誠の良士廉夫なる哉、