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年山紀聞

節倹
西山公〈○徳川光国〉常にのたまへらく、天下国家の主より士庶人にいたるまで、倹約お第一の徳とす、今や天下久しくおさまりて、人々おぼえずしらずに、衣服馬鞍腰刀のかざり、もろ〳〵の器物食物家作りにおよぶまで、男女ともに奢侈におもむきたるゆえに、その国用家費たらはず、是しかしながら、上たる人の心おもちひられず、たゞ栄花にのみならひくらし玉ふより、その風俗おのづから下におよべり、あまさへへつらひの進献に美おつくし、なほその執事近習の輩に至るまでも、おの〳〵美物おあたへて、おひげの塵おはらふ、此風一たびおこなはれて後々は、天下の窮困となれり、いはんや土木(ふしん)おこのみ玉ふには、諸国の手つたひおかりたまふゆえに、国主万金おついやす、国主くるしむゆえに、その士農工商おしえたげて、一国の困窮となれり、治平久しければ、いづれの世もこれなり、俊禹の徳おしたふまでこそあらざらめ、せめて漢の文帝の節倹にましませし時に、天下ゆたかに人々其所お得て、安堵のおもひおなせし時お、人主は目あてにして、身もちおつゝしむべき事なり、士庶人のせばき家の内とても、程々にしたがひて、倹約おまもれば、親類友だちおたすけやすく、子孫に芸術おしふるも、まどしからず、但し節倹と吝嗇とまぎるるものなり、此あひだおよく〳〵わきまふべし、吝嗇なれば、上たる人には、諸人なづかず、下たるものも、親族朋友むつましからずして、人倫の義理おかく事のみなりなど、こまやかにおしへかたらせたまひたれど、十が一おだにおぼえ侍らず、その大意なりともとて、いさゝか書つけ侍りぬ、