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萱園談余

倹約とも節倹(○○)とも雲、用お節鉱し財おはぶくこと也、所用お節略してへらす時は、物入自ら減省する也、格おかへ事おへさずして、隻財用お省かんとする時は、吝嗇の形ちになりて甚あしヽ、客嗇とは財お慳みてしわきこと也、己れに益す時は人に損あり、財は人の欲するもの也、然るお我のみ金持んとせば、人の怨み出来て人情離る、かヽる人は父子兄弟の間さへ睦しからず、論語に用お節して人お愛すとの玉へり、用お節する時は、人お損ずる気遣ある故、何故に用お節するぞなれば、譬へば諸侯の上でいはヾ、国お保ち人お安ぜん為にこそするなれ、用お節するが為に、人おわこなび、人情離れば、何の益かあらん、士大夫已下一己の身の上とても皆同じ道理也、其上物まらけせん、金もたんと思ふは、浮世すぎする賤者の心にて下劣のこと也、内其心あれば、もの雲ひ形ちにも自然と下劣の相あり、士の恥べきこと也、
恭倹と驕奢とは裏表の事也、恭倹は吉徳なり、驕奢は凶徳なり、恭は丁寧なること也、丁寧なる人は質素簡約にして、自然と財用費す様のことお好まで、倹なるもの也、驕はふとく出て、緩怠無礼なること也、さやうの人は余盛おこのみ、何事もかさあるやうにと思ふに付て、自ら奢侈して、財用の費あるもの也、かやうのこと勘弁あるべきこと也、