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今昔物語
二十二
時平大臣取国経大納言妻語第八
今昔、本院の左大臣と申す人御けり、御名おば時平とぞ申ける、昭宣公〈○藤原基経〉と申ける関白の御子也、本院と雲ふ所になむ住給ける、年は僅に卅許にして、形ち美麗に有様微妙き事無限し、然れば延喜の天皇此の大臣お極き者にぞ思食たりける、而る間天皇世間お拈御ましける時に、此の大臣内に参給たりけるに、制お破たる装束お、事の外に微妙くして参給たりけるお、天皇小蔀より御覧じて、御気色糸悪しく成せ給て、忽に職事お召て、仰せ給ひける様、近来世間に過差の制密き比、左の大臣の一の大臣と雲ふ作ら、美麗の装束事の外にて参たる便無き事也、速に可罷出き由慥に仰せよと仰せ給ければ、綸言お奉つる職事は、極て恐り思ひけれども、篩々ふぞ然々の仰せ候ふと、大臣に申ければ、大臣極て驚き畏まりて、忿ぎ出給ひにけり、随身雑色など、御前に参ければ、制して前も令追め不給てぞ出給ひける、前駆共も此の事お不知ずして、恠び思ひけり、其の後一月許本院の御門お閉て、簾の外にも不出給ずして、人参ければ、勅勘の重ければとてぞ不会給ざりける、後に程経て、被召てぞ参給ひける、此れ は早う天皇と吉く合せて、他人お吉く誡めむが為に構させ給へる事也けり、