[p.0061][p.0062]
太平記
三十五
北野通夜物語事附青砥左衛門事
報光寺最勝園寺二代の相州に仕へて、引付の人数に列りける青砥左衛門と雲者あり、数十箇所の所領お知行して、財宝豊なりけれ共、衣裳には細布の直垂、布の大口、飯の菜には、焼たる塩干たる魚、一つより外はせざりけり、出仕の時は、木鞘巻の刀お差し、木太刀お持せけるが、叙爵後は、此太刀に弦袋おぞ付たりける、加様に我身の為には、聊も過差なる事おせずして、公方事には千金万玉おも不惜、又飢たる乞食、疲れたる訴訟人などお見ては、分に随ひ品に依て、米銭絹布の類お与へければ、仏菩薩の悲願に均き慈悲にてぞ在ける、〈○中略〉又或時、此青砥左衛門夜に入て出仕しけるに、いつも燧袋に入て持たる銭お、十文取はづして、滑河へぞ落し入たりけるお、少事の物なれば、よしさてもあれかしとてこそ、行過べかりしが、以外に周章て、其辺の町屋へ人お走らかし、銭五十文お以て続松お十把買て則是お燃して、遂に十文の銭おぞ求得たりける、後日に是お聞て、十文の銭お求めんとて、五十にて続松お買て燃したるは、小利大損哉と笑ければ、青砥左衛門眉お頻て、さればこそ御辺達は、愚にて世の費おも不知、民お恵む心なき人なれ、銭十文は隻今不求ば、滑河の底に沈て、永く失ぬべし、某が続松お買せつる五十の銭は、商人の家に止まて、永不可失、我損は商人の利也、彼と我と何の差別かある、彼此六十文の銭一おも不失、凱天下の利に非ずやと爪弾おして申ければ、難じて笑つる傍の人々、舌お振てぞ感じける、