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藩翰譜
七上/堀
柳生但馬守宗矩の物語ありしは、〈○中略〉秀政〈○堀〉の卒せし時、高き人も賤しき者も、おしき人にいひき、世の人、名人左衛門と名づく、天下の指南しても、越度あるまじき人なりといひき、これ天下おも知らせ亢き人なりといふ言葉なり、此人の弟お、多賀出雲守と雲ふ、北の庄の城修し築く時に、秀政この出雲守が計ひあしくとて、恥ぢがましく雲はれたり、多賀口おしき事に思ひ、其明る朝、北庄お去りて行く、秀政聞きて、不便の事なり、道にこそ飢えけれとて、黄金十枚取出て、人お走らせてはなむけす、その黄金つゝみたる紙お、自ら一枚づゝ、しわおのして箱に納む、近く仕ふ小侍どもに向ひ、およそ財は、用いべきに当りては、十枚の黄金、おしむに足らず、無用の事ならんには、此紙十枚おも、濫りに費すべからず、女等我お卑しと思ふ事なかれといひき、誠に名言なりしとぞ、