[p.0066][p.0067]
雨窻閑話
織田信長公吝嗇〈並〉印陣打の事
其の人曰く、〈○中略〉昔神君御代に、駿河にて二三年の間、御倹約の事有りて、本多佐渡守正信命お蒙りて奉行しける、其年の門松、例より大にして、又正月三日御謡初の節、門ごとに灯す蠟燭、例年より格別又大なり、神君正信お召して、かねて倹約の義、申付けたる処、門松の大なると、蠟燭の大なるとはいかにかと御尋ね有りしに、佐渡守畏りて申す様かゝる御規式の事お、りつぱに仕らんとて、かねての倹約仕候也と申し上げられしかば、御機嫌不斜とぞ、此佐渡守両三年の御倹約中に、金銀米穀軍用等の手宛、沢山に拵らへ置きしに、元和五年、天下困窮に及びし節、其貯にて御救ひ下されし由、佐渡守が功援において顕れたり、天下の倹約は、天下の為也、国家の倹約は、国家の為なれば、別に余計の湧き出づるにもあらざれば、たゞおのれが身お詰め、まさかの時に用に立てんとするは、倹約にしくはなし、能く此事心得べしと也、