[p.0069]
明良洪範
十一
松倉豊後守重正〈○中略〉武辺第一の人にて、生涯奢る事なく、浪人にても武辺の士には、親みて語られけるは、我等如き小身者は、事あらん時は人数不足也、其時は各方も一所に出陣致れよ、軍功あらば君へ申上、然るべく取計ひ申さんなど、常に語られける、或時は武辺の浪士お集め、饗応しける事毎度あり、其時は飯は玄米飯、魚鳥は自身猟せし物、野茱は自園の品、料理方はすべて粗にして奢れる事なく、隻沢山なるお要とし、廿人の人数には四十人前の手当し、我も浪士も家人も、一席にて飲食す、其外、四時折々の宴にも、衆と其に薬み、士卒お撫育する事お楽む、大坂御陣の節も、重正騎馬百騎お従へり、其後島原に移りて、益士卒お撫育し、有名の浪士お扶助せしかば、今の四万石は大方家士或は客分の浪士に、配分せしと也、