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明良洪範

土井大炊頭利勝居間の内にて、唐糸の切お拾ひ給ひて、弐に誰か有ると呼れしかば、大野仁兵衛と雲ふ近習の者罷出候へば、是お其方に預け置也、大事に致し候へと申付られし時、彼の者畏り候迚、其糸のきれお受取罷立候お、次に居る若者共、あの糸屑何の用に立べきと思し召哉、其様に大切に致し置べきと仰らるヽは、大名に似合ざる事と笑ひけると也、其後三四年お過て、大炊頭殿大野お呼給ひ、先年其方に預け置候糸の切屑はと、尋子給ひしに、仁兵衛承り、夫は援に仕舞置候とて、巾著より取出し差上候へば、利勝是お取給ひて、脇差の下緒の先のほどけしおくヽり給ひ、家老寺田与左衛門お呼で、是お見候、三年以前に唐糸の切お拾ひて、仁丘は衛に預け置しに、夫お大切に致し置、隻今尋候へば、巾著の中より取出し候、預けし時外の者共は、我おしわき者と雲ふ、あの糸何の用に立べきぞと笑ひし者多き中に、主の詞お斯の如くに、大切、に相守りし事、奇特千万也候故、知行三百石取らすべき也、其段申渡すべく候、此糸切お我大切に思ひ候わけお、皆々へ語り聞すべし、此糸は元来唐土の土民の手にて、桑おとり蚕お飼ひて糸に成して、唐土の商人の手に渡り、遥かの海路お経て、日本の地に渡りて、長崎の商人の手に入、夫より京大坂の町人買取、江戸迄下りし物なれば、いか計かと存候ぞ、左様の苦労にて出来候物お、少しきなればとて、塵になし棄る事、誠に天の咎めも恐敷也、今下げ緒の先おくヽり候へば費無と笑ひしが、我一尺に足ぬ唐糸お、三百石の知行にて、買取たるとぞ雲れける、