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厳有院殿御実紀附錄

慶長元和よりこのかた、昇平すでに五十年に及ぶといへども、いまだ倹約の事令し下さるゝ事もなかりしが、この頃はや世上も何となく奢侈の風に赴くおもて、当代〈○徳川家綱〉御承統のはじめ、老臣等相議して倹約の事お仰下されける、これ当家にて倹約の事沙汰せられし始とす、殊更明暦大災の後には、其事おごそかに命ぜられ、三年の間参覲の献物も菲薄にし、佳節の外は、すべて贈送の品おもとゞめられ、また御前に於て諸大名並に諸有司お、近くめさせられ、大名には其身倹素お守り、国民お撫恤して、封内艱困せしむまじき旨御暁諭あり、有司には屋舎お軽くいとなみ、衣服も古きお著し、厨膳の菜数お減じ、専ら倹素おもて隊下の者お率い励すべきよし仰下され、勘定納戸の頭には、万事浮費お省き、国用おして空乏に至らしむべからざるむね命ぜられ、目付の徒には倹素の事しば〳〵令し下さるゝといへども、もし遵行せざるものあらば、糺弾して聞えあぐべしとなり、かくとり〴〵に面命ありし上にも、猶御心お用ひられ、諸事質素に掟させ玉ひしかば、非常の大災ありし後も、孥蔵充実して財貲の耗竭する事なく、統御三十の間、上下殷富して、万民みな徳化の内に鼓舞しけるとぞ、