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吉備烈公遺事
公〈○池田光政〉常に小倉織の袴お召させ給ひ、これおぬがせ給ふ時も、たヽむ事もなく、柱の竹釘に、こより引張たるに、侍臣に命じて掛させ給ふ、紫の、被の数年になりけるお、山川十郎左衛門かへんと申せしに、予吝に非ず、猶かへずとも有なんと仰有りて、又年経て、垢付ければ、山川重て何とも申さで換たりける、衣服器物類、大形此類也けるとかや、亦恒に用させ給ふ印籠、黒塗にて象牙のくはらの帯はせ、印籠の中に、銀の小匕お入させ給ふ、今も猶閑谷の庫に、残れるお見し人の語りき、〈○中略〉蚊帳の釣手は、くはんぜよりに、筆の軸お断て、結つけさせ給へり、東照宮の閟宮お造営せらるヽに至ては、万金お惜せ給はず、亦国中提防の経営、殊に力お尽し給へり、是熊沢大夫が教お受なせ給ひての事なり、