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浪花の風
当地にて名高き富商鴻池善右衛門が家の掟は、貝原篤信が定むる処といふ、此事お其家に尋るに、左様なること決て無之よしお答ふといふ、されど世上にて貝原が定るといふ説、一般に唱ふることにて、按るに何か子細ありて、此事お善右衛門方にては深く秘することにやと思はる、何にいたせ、其家の掟は規則能整ひて、代々是お守るといふ、其一つお雲ば、店に居る若きものも数十人なれども、其著服四季施等、皆古来よりの仕来りお守る故、他の店の者と混れることなく、且此ものども、時に寄て店の引けし後は、夜中十人廿人寄集りて酒のみ戯れ遊び、浄瑠璃又は乱舞抔の学びおなして、興ずることあり、是お陰にて聞時は、美酒嘉肴ありて大酒宴の有様なれども、其席お伺ひ見れば、肴といふものもなく、先は菜漬の香の物か、左なくば塩鰯抔お少々許り肴となして、酒のみ楽む体、実に二百年も以前は、かくやありけんと思はるゝことにて、今世の目より見る時は、興のさめたる体なりといふ、又都て当地の豪家のもの所持の別荘、抱地坏の家作、いづれも良材お用ひ、精工お撰み、猶美お尽して結構に営めり、然るに善右衛門が別荘は、手広なれども、規則に外れしことなく、去る天保十四卯年に、御改革の命ありし頃、外豪家の別荘の家作は、長押造付書院お初、種々身分不相応の造作故、俄に大工お雇ひ昼夜お争ひ、摸様替にて大に混雑せしことありしに、善右衛門が別荘のみは規則に外れしことなき故に、更に、手入抔といふことなく、其儘にて済しといふこと、万事此一二事に付て、其余の家法正しき事推て知るべきなり、