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白河楽翁公伝
十月〈○天明三年〉十六日、御家督お継せ給ひ、先公は木工頭と改め、公〈○松平定信〉は越中守に成り給ふ、扠此年の事は、天下久しく飢饉の災なかりし後なれば、人々油断して雨いかに降るとも、今日晴たらば実るべし、明日睛たれば豊ならんと、七月の末まで雲おながめ〳〵送りし内に、米価貴くなり、一旦の利お貪り、蓄へたる米も売代なし空乏になり、御家中一統人別扶持にも為たる節にて、人々みな公の襲位は迷惑の時節に奉存、御用人辻勘助申上るは、君には惡しき時の御家督にて、御心痛成せらるゝ事よと申上しに、公はいや然らず、斯る時こそ人心一新する者故、不幸の幸也とのたまひ、御家督の日に御家老お召、凶年は珍らしからぬ事にて、今迄無りしは幸とも雲べし、驚くべきにあらず、凶年には凶の備なすこそよけれ、いで此時に乗じて、倹約質素の道お教て、磐石の固めとなすべしと仰付らる、翌日邸中の御家来のこらず召出され、質素倹約は御身お手本と成し奉るべし、若御身此言に違ひ給はゞ、人々も皆背くべしと仰出さる、此節より御膳部も痛く減じ、朝夕一汁一菜、昼は一汁二菜と定め、御衣服も是迄習ひ給は躔木綿お著、御夜具までも鬱金染の木綿裏お付、御駕籠蒲団も紬等に製せよと命じ玉ひしに、是迄用ひ玉ひし天鵝絨、いまだ新しければ、是お退けて別に作なんは、却て不益なるべしと、有司の申せしに、公の仰には物の改むべき時は、左にてはなきものぞ、新に製せよと命じ給ひ、御身お以て下の先となり率ひ給ふ、