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芸備孝義伝
一/広島
播磨屋町浄閑
浄閑はもと石州津茂山より出て、はじめ山県の寺原村に移り、また広島にきたりて、人にもつかはれぬるが、やうやく身お起し、市店もあまたかひ得て、世並屋市郎左衛門といへり、渠富るに随ひて、家のおきてお正し、物あきなふにもむさぼらずして、人と利おともにし、又世の奢風にうつらず、その身齢八十になりて、子のすゝむるにより、始て紬といふものお著たり、その家婚礼の式なども、豆腐のあつものに打あはび取ぞへ、先祖位牌の前にて盃おめぐらせり、家もやゝ分ひろめて、親類もおほくなれど、皆そのおきてお守て、一族風お成しけるとなん、