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芸備孝義伝
三編四/広島
国泰寺下男菊松
菊松は父お藤四郎といひて、安芸郡矢野村の民なり、菊松十六歳にして、はじめて国泰寺に仕ふ、当時は国の大地なれば、遍参の僧多く来集りて、日々の費用おびたゞしけれ、ど幹事のものも僧徒なれば、さまで意とするものもなかりしに、菊松この寺に仕へて後は、米薪の出納より味噌醤油のつくりかた、菜甫のことまでも、おのが身に荷ひ、さま〴〵と意おくばり、節倹おむねとしてはからひけること、三十余年の久しきにおよびぬれど、廉潔にしていさゝか私なかりければ、寺中のもの皆その実意に感服し、無用の費の渡ずるのみか、寺法のしまりともなりけるとそ、また郷里なる父がうりはらひし家田地おも、己がはたらきおもて、本のごとく買もどし老父おして心やすく暮させける、