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狂歌現在奇人譚
三編下
一秋亭落霞の伝
落霞がちかきほとりに、とめるあき人あり、此人つねにものおしみする癖ありて、いかばかりのことありとも、人にものなどおくることなし、おりにふれてものおくるときは、さゝやかなる紙に、いと〳〵つ、たなき画など、みづからかきて、落霞にうたかゝせて、これおもて人におくりて、ようつのことのむくいにあてつ、あるとき落霞、友だちどものかたらひてありしに、かのおのこつねのごとく、みづからかきたる画ひとひらもてきたりて、これに賛してたまはれとこふ、これおうち見るに、張良九里山に簫おふきて、かたきおはかりしところおぞかきたりける、日ごろものおしみする人のもてきたりしなれば、落霞心にはそまざれども、もとめらるゝにさりがたくて、しの竹にふえのねたてゝ武者によぶ木のはおちらす峯のこがらし、とよみかきてあたへければ、いみじくうれしがりてもてかへりけり、其次の日、又ひとつの画おもてきて、これにもうたかきて、たまへとてせたむる、うち見れば、九郎義経が一の谷にさかおとしするかたかきたるなり、落霞やがて筆とりて、
峯よりもさかおとしして、武者によぶ木の葉おちらすこがらしの風、とよみければ、かのおのこ心のうちよろこばぬさまにて、しりぞきけるが、とばかりありていりきたり、これに歌およめとて、又ひとひらのえおいだす、孔明たかどのに琴ひきて、仲達おまどはすところおかきけるなり、落霞かうがへもせで、
松がえに琴の音たてゝ武者によぶ木の葉おちらす峯のこがらし、とかいつけたるときに、このおのこいろおかへていふやう、落霞ぬしはおなじき歌おみたびよみ給ふ、かうざまにては、おのれ人のもとにおくらんとするによろしからず、ねがはくはあらたによみて給はれとそいひける、落霞わらひていふ、御身つねにものおしみし給ふ癖ありて、ひとひらの紙あればはなうちかみて、日にほして又もちひ、そおほしては又はなかみ、三たび四たびもちひて、しかしてのち、かはやにもてゆき給ふよしきゝおよびぬ、われも又それにおなじ、ひとつの歌おみたび四たびにももちふるなりとそこたへける、かの人はかほうちあかめ、はらだゝしきさまにかへりしが、そのゝちはふつにきたらず、落霞はへつらふこゝうなくて、おもしろき人なりかし、