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古今著聞集
九/武勇
頼光朝臣寒夜に物へありきて帰けるに、頼信の家ちかくよりたれば、公時お使にて、隻今こそ罷過侍れ、此寒こそはしたなけれ、美酒侍るやといひたりければ、頼信朝臣折ふし、酒のみていたりける時なりければ、興に入て、隻今見様に申給べし、此仰ことによろこび思ひ給候、御渡有べしといひければ、頼光則入にけり、盃酌之間、頼光厩の方お見やりたりければ、童お一人いましめておきたりけり、あやしと見て、頼信にあれにいましめておきたるものは、たぞと問ければ、鬼同丸なりとこたふ、頼光驚て、いかに鬼同丸などおあれていにはいましめ置給たるぞ、おかしあるものならば、かくほどあだには有聞敷物おと、いはれければ、頼信実さる事候とて、郎等およびて、猶したゝかにいましめさせければ、金鏁おとり出て、よくにげぬやうにしたゝめけり、鬼同丸、頼光のの給事お聞より、口惜物かな、何とぞあれと夜のうちに、此恨おばむくはんずるものおと、思ひいたりけり、盃酌数献に成て、頼光も酔て臥ぬ、頼信も入にけり、夜ふけしづまる程に、鬼同丸究竟のものにて、いましめたる縄金鏁ふみ切てのがれ出ぬ、狐戸より入て、頼光のねたる上の天井にあり、此天井引はなちて、落かゝりなば勝負すべき事、異儀あらじと思ためらふ程に、頼光も直人にあらねば、はやくさとりにけり、落かゝりなば、大事と思ひて、天井にいたちよりも大きに、てんよりもちいさきものゝ音こそすれといひて、誰か候とよびければ、綱名乗て参りけり、明日は鞍馬へ可参、いまだ夜おこめて、是よりやがて参らんずるぞ、それがし〳〵供すべしといはれければ、綱承りて、みな是に候と申ていたり、鬼同丸此事お聞て、こゝにては今は協まじ、酔臥たらばとこそ思ひつれ、なまさかしき事し出ては、あしかりなんと思ひて、明日の鞍馬の道にてこそと思ひかへして、天井おのがれ出て、くらまのかたへむかひて、市原野の辺にて、びんぎの所おもとむるに、立かくるべき所なし、野飼の牛のあまた有ける中に、ことに大成お殺して、路実に引ふせて、うしの腹おかきやぶりて、其中に入て、目計見出して侍けり、頼光あんのごとく来りけり、浄衣に太刀おぞはきたりける、綱、公時、定通、季武等みな共にありけり、頼光馬おひかへて、野のげしき興あり、牛その数有、おの〳〵牛追物あらばやといはれければ、四天王のともがら、我も我もとかけて射けり、誠に興ありてぞ見えける、其中に綱いかゞ思ひけん、とがり箭おぬきて、死したる牛にむかつて弓お引けり、人あやしと見る所に、牛の腹のほどおさして、箭おはなちたるに、死たる牛ゆす〳〵はたらきて、腹の内より大の童打刀おぬきて、走出て頼光にかゝりけり、見れば鬼同丸也けり、箭お射たてられながら、猶事共せず、敵に向ひけり、頼光は少もさはがず、太刀おぬきて鬼同丸が頭お打おとしてけり、やがてもたふれず、打刀おぬきて鞍のまへつぼおつきたり、さて頭はむながいにくいつきたりけるとなん、死ぬる迄たけくいかめしう侍りける由語りつたへたり、まことなりける事にや、扠頼光はそれより帰りにける、