今昔物語

二十五

藤原昌保朝臣億盗人袴垂語第七
今昔、世に袴垂と雲極き盗人の大将軍有けり、心太く力強く足早手聞き、思量賢く世に並び無き者になむ有ける、万人の物おば隙お伺て奪ひ取るお以て役とせり、其れが十月許に衣の要有ければ、衣少し儲と思て、可然き所々お伺ひ行けるに、夜半許に人皆寝静まり畢て、月のおぼろ也けるに、大路にすヾろに衣の数著たりける主の、指貫なめりと見ゆる袴の喬挟て、衣の狩衣めきてなよよかなるお著て、隻独り笛お吹て、行きも不遣ら練り行く人有けり、袴垂是お見て、哀れ此こそ、我れに衣得させに出来る人なめりと思ければ、喜て走ふ懸て打臥せて衣お剥むと思ふに、怪しく此の人の物恐しく思ければ、副てに三町許お行くに、此の人我に人こそ付にたれと思たる気色も無くて、弥よ静に笛お吹て行けば、袴垂試むと思て、足音お高くして走り寄たるに、少も騒たる気色も無くて、笛お吹作ら見返たる気色、可取懸くも不思りければ走り去ぬ、此様に数度此様彼様に為るに、塵許騒たる気色も無ければ、此は希有の人かなと思て、十余町許具して行ぬ、然りとて有らむやはと思て、袴垂刀お抜て走り懸たる時に、其の度笛お吹止て立返て、此は何者ぞと問ふに、譬ひ何ならむ鬼也とも神也とも、此様にて隻独り有らむ人に走り懸たらむ、然まで怖しかるべき事にも非ぬに、此は何なるにか、心も肝も失せて、隻死ぬ許怖しく思えければ、我にも非で被突居ぬ、何なる者ぞと重ねて問へば、今は逃ぐとも不逃まじかめりと思て、引剥候ふと、名おば袴垂となむ申し候ふと答ふれば、此の人然か雲者世に有りとは聞くぞ、差ふし気に希有の奴かな、共に詣来と許雲ひ懸て、亦同様に笛お吹て行く、此の人の気色お見るに、隻人にも非ぬ者也けりと恐ぢ怖れて、鬼神に被取ると雲らむ様にて、何にも不思で共に行けるに、此の人大きなる家の有る門に入ぬ、沓お履作ら延の上に上ぬれば、此は家主也けりと思ふに、内に入て即ち返り出で、袴垂お召て、綿厚き衣一つお給ひて、今よりも此様の要有らむ時は参て申せ、心も不知らむ人に取り懸ては、女不被誤なとぞ雲て内に入にける、其後此の家お思へば、号摂津前司保昌と雲ふ人の家也けり、此人も然也けりと思ふに、死ぬる心地して生たるにも非でなむ出にける、其後袴垂被捕て語けるに、奇異くむくつけく怖しかりし人の有様かなと雲ける也、此の保昌朝臣は、家お継たる兵にも非らず、国と雲人の子也、而るに露家の兵にも不劣として、心太く手聞き強力にして、思量の有る事も微妙ければ、公も此の人お兵の道に被仕るに、聊心もと無き事無し、然れば世に靡て此の人お恐ぢ迷ふ事無限り、但し子孫の無きお、家に非ぬ故にやと、人雲ひけるとなむ、語り伝へたるとや、