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源平盛衰記
二十六
祇園女御事
小夜深人定て、御つれ〳〵に思召出させ給て、祇園の女御へ御幸あり、〈○白川〉忍の御幸の習にて、供奉の人々も数少し、忠盛〈○平〉北面にて御供あり、比は五月廿日余の事なれば、大方の空もいぶせきに、五月雨時々かきくらし、暁懸たる月影も、未雲井に不出けり、最御心細き折節に、祇園林の南門鳥居の芝草の西に当つて、光物こそ見えたりけれ、或時はさとひかり、光ては消、消ては又ざと光、光に付て其姿お叡覧あれば、頭は銀の針の如くに、きらめきた戸髪生下、生上れり、右の手には、鎚の様なる物お持、左の手には光物お持て、とばかり有ては、ざと光、暫く有ては、ばと光、院も御心お迷し、供奉の人々も、魂お消て、是は疑もなき鬼にこそ、手に持たる物は、聞ゆる打出の小槌なめり、髪の生様穴恐し〳〵とて、御車お大路に止て、忠盛お召る、忠盛御前に参たり、あの光物お取て進せよと勅定あり、忠盛は弓矢取身の運の尽とは、加様の事にや、よそに見るだに肝魂お消、鬼お手取にせん事難協、身近く寄て取はづしなば、隻今鬼に嚼食ん事疑なし、遠矢にまれ射殺さんと思て、矢おはげ、弓お引けるが、指はづして案じけるは、縦鬼神にもあれ、勅定限あり、王事無脆、宣旨の下に助くべきに非ず、況よも実の鬼にはあらじ、祇園林の古狐などが夜更て、人お誑にこそ在らめ、無念にいかヾ射殺べき、近づき寄て伺はんと思ひ返して、青狩衣に上くヾり、下に萌黄の腹巻に、細身造の太刀帯て、葦毛の馬にぞ乗たりける、駒おはやめて歩より、太刀お脱て額に当て、次第次第に伺寄る処に、足本近く馬の前にぞざと光恵盛馬より飛下、太刀おば捨て、得たりやおふとぞ懐たる、手捕にとられて、御誤候なと雲音お聞ば人也、己は何者ぞと岡えば、是は当社の承仕法師にて侍が、御幸ならせ給の由承候間、社頭に御灯進せんとて参也と答、又続松お出して見れば、実に七十計の法師也、雨降ければ、頭には小麦の藁お戴、右の手に小瓶お持て、左の手に土器に煨お入て持て、隈おけさじと吹時は、ざと光、光時は小麦の藁が耀合て、銀の針の如くに見えける也、事の様一々に顕て、さしも懼恐れつる心に、いつの間にか替けん、今は皆咲つぼの会也けお、是お若切も殺、射も殺たらば、不便の事ならまし、弓矢取身は流石思慮ありとて、忠盛御感に預り、今蓮華院と申は、彼の祇園女御の御所の跡也けり、