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源平盛衰記
十三
高倉宮信連戦事
五月〈○治承四年〉十四日の夜の曙に、官人三人向たり、源大夫判官兼綱は、存ずる旨ありと覚て、遥かの門外にひかへたり、光長、兼成両人は、馬に乗ながら門内に打入て申けるは、君代お乱させ給ふべき、謀叛の聞あるに依て、可奉迎取由、蒙別当の宣、罷向へり、光長、兼成、兼綱是に侍り、速に御出有べきと、高声に申ければ、信連立出て、当時は忍の御所に入せ給て、此御所は御留守也、此子細お伝奏仕べきと申しければ、博士、判官こはいかに、此御所ならでは、何所に渡らせ給べきぞ虚言ぞ、足がるど、も乱入て、さがし奉れと下知す、下知に随ひて、下郎等乱入て、狼藉不斜、信連腹お立て、奇怪なる田舎撿非違使共が申様哉、我君今こそ勅勘ならんからに、一院第二王子にて御座、馬に乗ながら門内に打入おだに、不思議と見処に、さかせと下知する事こそ狼藉なれ、にくき官人共が振舞哉とて、薄青の単へ狩衣の紐引切抛ちて、昔にも聞、目にも見よ、宮の侍に長兵衛尉長谷部信連とは我事也とて、太刀おぬき刎て蒐、兼成が下部に、金武と雲放免あり、究竟の大力、大腹巻に、左右の小手指、打刀お抜て向会けり、其おば打捨て、御所中へみだれのぼる兵、五十余人が中に打入て、竪横に御ければ、木の葉お風の吹が如し、庭へさとぞ追散す、信連御所の案内は能知たり、彼に追つめて丁と切、是に追つめてはたと切、唯電などの如くなれば、面お向る者なし、程なく十余人は被討にけり、信連が太刀は心得てうたせたりければ、石金お破とも、左右なく折返るべしとは思はざりけれ共、余に強く打程に、度々曲けるお、押なおし〳〵戦程に、結句つば本より折にけり、今は自害せんと思て、腰おさがせども、刀も落てなかりけり、力不及大床に立て、宮の侍に長兵衛尉信連こヽに有、太刀も刀も折失て、勝負の道に力なし、我と思はんもの寄合て、信連討捕、勲功の賞に預やと、高声に雲けれ共、手なみは先に見つ、太刀刀のなしと雲ふは、敵おたばかるにこそ、虚言ぞ、左右なく寄て過すなとて、たヾ遠矢に射、主は誰ともしらず、信連左の股お射させたり、其矢お抜て捨てたれば、尻お止て猶もヽにあり、打力ヾめて柱に当て、子ぢぬきて思けるは、、角て犬死おせんより、敵に組食付ても死なんと思て、なへぐ〳〵小門の脇へ走出て、信連是に有と雲ければ、寄手の者ども声に恐てさつと引、金式は加様の剛の者、打刀にては協はずとて、鞘にさし、小長刀お茎短に取なして、寄合さヽんとしけるお、信連持たる物はなし、手おはたけて飛て係、長刀にのりはづして、又右の股おさヽれつヽ、是にて被虜、