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源平盛衰記
三十五
巴関東下向事
畠山、半沢六郎お招て、如何に成清、重忠十七の年、小坪の軍に会初て、度々の戦に合たれども、是程軍立のけはしき事に不合、木曾の内には今井、樋口、楯、根井、此等こそ四天王と聞しに、是は今井、樋口にもなし、さて何なる者やらんと問ければ、成清あれは木曾の御乳母に、中三権頭が娘巴と雲女也、つよ弓の手たり、荒馬乗の上手、乳母子ながら妾にして、内には童お仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名お不取、今井、樋口と兄弟にて、怖しき者にて候と申、〈○中略〉援に遠江国住人、内田三郎家吉と名乗て、三十五騎の勢にて、巴に行逢たり、内田敵お見て、天晴武者の形気哉、但女力童か窘(おぼつか)なしとぞ問ける、郎等能々見て、女也と答、又内田聞敢ず、去る事あるらん、木曾殿には、葵、巴とて二人の女将軍あり、葵(○)は去年の春、礪並山の合戦に討れぬ、巴は未在ときく、是は強弓精兵、あきまお数る上手、岩お畳金お延たる城成共、巴が向には不落と雲事なし、去癖者と聞召て、鎌倉殿、彼女相構て、虜にして違せべき由、仰お蒙りたり、巴は荒馬乗の大力、尋常の者に非ずと聞、如何がすべきと思煩けるが、〈○中略〉家吉一人打向て、巴女が頸とらんと雲ければ、三十余騎の郎等は、日本第一に聞えたる怖しき者に組むまじき事お悦、猶々と雲ければ、内田隻一人駒お早めて進む処に、巴是お見、先敵お讃たりけり、天晴武者の貌哉、東国には小山、宇都宮歟千葉、足利か、三浦、鎌倉か、窘なし、誰人ぞ、角問は木曾殿の乳母子に、中三権頭兼遠が娘に、巴と雲女也、主の遺の惜ければ、向後お見んとて、御伴に侍ると雲、鎌倉殿の仰お蒙、勢多手の先陣に進るは、遠江国住人内田三郎家吉と名乗進けり、巴は一陣進むには、剛者大将軍に非ずとも、物具毛の面白きに、押並て組、しや首子ぢ切て、軍神に祭らんと思けるこん遅かりけれ、手綱かいくり歩せ出ぬ、去共内田が弓お引ざれば、女も矢おば不射けふ、互に情お立たれば、内田太刀お抜、されば女も太刀に手お懸ず、主は急たり、馬は早りたり、巴内田馬の頭お押並、鐙と〳〵蹴合するかとする程に、寄合互に音お揚、鎧の袖お引違たり、やおうとぞ組たりける、聞る沛艾の名馬なれ共、大力組合たれば、二匹の馬は、中に留て働かず、内田勝負お人に見せんと思けるにや、弓矢お後へ指廻し、女が黒髪三匝にからまへて、腰刀お抜出し、中にて首おかヽんとす、女是お見て、女は内田三郎左衛門とこそ名乗つれ、正なき今の振舞哉、内田にはあらず、其手の郎等かと問ければ、内田我身こん大将よ、郎等には非、行跡何にと申せば、女答て雲、女に組程の男が、中にて刀お抜、目に見する様やは有べき、軍は敵に依振舞べし、故実も知す内田哉とて、拳お握り、刀持たる臂のかヽりお、したヽかに打、余強く被打て、把れる刀お被打落、やおれ家吉よ、日本一と聞たる、木曾の山里に住たる者也、我お軍の師と憑めとて、弓手の肘お指出し、甲の真顔取詰て、鞍の前輪に攻付つヽ、内甲に手お入て、七寸五分の腰刀お抜出し、引あおのけて首て掻、刀も究竟の刀也、水お掻よりも尚安し、馬に乗直り、一障泥あおりたれば、身質は下へ落にける、