[p.0107][p.0108]
源平盛衰記
三十七
熊谷父子寄城戸口並平山同所来附戍田来事
熊谷父子、城戸口に攻寄て、大音揚て雲けるは、武蔵国住人熊谷次郎直実、同小次郎直家、生年十六歳、伝ても聞らん、今は目にも見よや、日本第一の剛者ぞ、我と思はん人々は、楯面へ蒐出よと雲て、轡お並て馳廻けれ共、隻遠矢にのみ射て、出合者はなし、熊谷城の中お睨て申けるは、去年の冬、相模国鎌倉お出しより、命おば兵衛佐殿〈○源頼朝〉に奉り、骸おば平家の陣に曝し、名おば後代に留んと思き、其事一の谷に相当れり、軍将も侍も我と思はん人々は、城戸お開打て出て、直実直家に落合、組や〳〵と雲へ共、出者もなく、名乗者もなかりければ、此城戸口には恥ある者もなき歟、父子二人はよき敵ぞ、室山水島二箇度軍に、高名したりと雲なる、越中次郎兵衛、惡七兵衛等はなき歟、所所の戦に打勝たりと宣ふなる、能登殿はおはせぬか、高名も敵によりてする者ぞ、流石直実父子には協はじ者お、穴無慚の人共や、いつまで命お惜らん、出よ組ん、出よくまんといへ共、高櫓の上より、城戸お阻て、雨の降が如くにぞ射ける、