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源平盛衰記
三十七
景高景時入城並景時秀句事
梶原平三景時がに男に、平次景高、一陣に進んで責入る、大将軍〈○源義経〉宣けるは、是は大事の城戸の口、上には、高櫓に四国九国の精兵共お集置たるなるぞ、誤すな、楯お重馬に胄お可著、無勢にしては惡かりなん、後陣の大勢お待そろへて寄べしと、下知し給へば、人々承継て、大将軍の仰也、勢お待儲て寄給へといへば、梶原はきと見かへりて、
武士のとりつたへたる梓弓引ては人の帰る物かは、と詠じて、城戸口近く押寄て、散々に戦、〈○中略〉梶原〈○景時〉下手に廻て、颯と引てぞ出たりける、源太は如何にと問ば、御方お離て敵の中に、取籠られ給ぬと雲、穴心憂や、さては討れぬるにや、景時生て何かせん、景季が敵に組て死なんとて、二百余騎お相具して、平家の大勢蒐散して、内に入、声お揚て、相模国住人鎌倉権五郎平景政が末葉梶原平三景時ぞ、彼景政は八幡殿の一の郎等、奥州の合戦の時、右の目射られながら、其矢お抜ずして、当の矢お射返して敵お討、名お後代に留し末葉なれば、一人当千の兵ぞ、子息景季が向後窄くて返入り、我と思はん大将も侍も、組や〳〵と名乗懸て、轡お並べて責入ければ、名にや実に恐けん、左右へさとぞ引退、源太尋よとて責入見れば、景季未討、初は菊池の者共と射合けるが、後には太刀お抜合せて名乗けり、和君は誰、菊池三郎高望ぞ、和君は誰ぞ、梶原源太景季と名対面して切合たり、源太は甲お被打落、大童にて三十余騎に被取籠て切合けるが、菊池三郎に押並て引組て、馬の際に落重て、菊池が頸お取、太刀の切鋒に指貫て、馬に乗出けるが、父の梶原に行合たり、平三景時源太お後に成て、矢面にすヽみ御戦つヽ、其間に源太に鎧きせ、暫休めて寄つ返つ戦けり、城戸口に真鍋四郎五郎と名乗て出合たりけるが、四郎は梶原に討れぬ、五郎は手負て引退く、平家の兵共も、入替入替戦けれ共、景時は源太が死なぬ嬉さ、に、猛く勇て竪さま横さま戦けり、暫し息おも継ければ、父子相具して引て、城戸へぞ出にける、さてこそ梶原が生田森のに度の蒐とはいはれけれ、