[p.0109][p.0110]
平家物語
十一
弓ながしの事
平家是おほいなしとや思ひけん、弓もつて一人、たてついて一人、長刀持て一人、武者三人、渚に上り、源氏こゝおよせよやとそまねきける、判官〈○源義経〉安からぬ事也、馬づよならん若たう共、はせよつて、けちらせと宣へば、むさしの国の住人みおのやの十郎、同き四郎、同き藤七、上野国の住人丹生の四郎、信濃国の住人きその中次、五きつれて、おめいてかく、〈○中略〉たてのかげより、大長刀打ふつてかゝりければ、みおのやの十郎、小太刀大長刀にかなはじとや思ひけん、かいふいてにげければ、やがてつゞいて追かけたり、長刀にてながんずるかとみる所に、さはなくして、長刀おば、弓手のわきにかいはさみ、めての手おさしのべて、みおのやの十郎が、甲のしころおつかまうとす、つかまれじとにぐる、三度つかみはづいて、四度のたびにむずとつかむ、しばしそたまつてみえし、はち付の板よりふつと引きつてぞにげたりける、〈○中略〉其後甲のしころおば、長刀の先につらぬき、高くさし上、大音声おあげて、遠からん者は音にも聞、ちかくはめにも見給へ、是社京童べのよぶなる、かづさの惡七兵衛かげ清よと、なのりすてゝ、みかたのたてのかげへぞのきにける、〈○中〉〈略〉
能登殿さいごの事
のと殿〈○平教経〉の矢さきに、まはる者こそなかりけれ、教経は、けふおさいごとや思はれけん、〈○中略〉矢だね皆つきければ、こくしつの大だち、しらえの大長刀、左右に持て、さん〴〵にないでまはり給ふ、新中納言知盛の卿、のと殿のもとへ、使者お立て、いたうつみな作り給ひそ、さりとてはよきかたきかはと宣へば、のと殿扠は大将にくみごさんなれとて、打物くきみじかにとり、ともへにさんざんにないでまはり給ふ、され共判官お見しり給はねば、ものゝぐの能武しやおば、はうぐはんかとめおかけて、とんでかゝる、判官も内々おもてにたつやうにはし給へ共、とかうちがへて、のと殿にはくまれず、され共いかゞはし給ひたりけ、ん、判官の舟に乗、あはやとめおかけて、とんでかゝる、判官協はじとや思はれけん、長刀おば、弓手の脇にかいはさみ、みかたの舟の、二丈ばかりのきたりけるに、ゆらりととび乗給ひぬ、のと殿はやわざやおとられたりけん、つゞいても、とび給はず、のと殿今はかうとや思はれけん、〈○中略〉大音声おあげて、源氏のかたに我と思はん者あらば、よつて教経くんで生どりにせよ、かまくらへ下り、兵衛のすけに、物一ことばいはんと思ふ也、よれやよれと宣へ共、よる者一人もなかりけり、こゝにとさの国の住人、あきのがうお知行しける、あきの大りやうさねやすが子に、あきの太郎実光、凡、二三十人が力あらはしたる、大力のがうの者、我にちつ共おとらぬ郎等一人ぐしたりけり、弟の次郎も、ふつうにはすぐれたる兵也、かれら三人、〈○中略〉たちのさきおとゝのへて、一めんに打てかゝる、能登殿是おみ給ひて、まづ真さきにすゝんだる、あきの太郎が郎等に、すそお合て、うみへどうとけ入給ふ、つゞいてかゝるあきの太郎おば、弓手の脇にかひはさみ、弟の次郎おば、馬手の脇に取てはさみ、一しめしめて、いざうれおのれら、四手の山の供せよとて、生年廿六にて、海へつゝとそ入給ふ、