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太平記
二十九
将軍上洛事附阿保秋山河原軍事
桃井が扇一揆の中より、長七尺計なる男、〈○中略〉樫木の棒の一丈余りに見へたるお、八角に削て、両方に石突入れ、右の小脇に引側めて、白瓦毛なる馬の太く逞しきに、白泡かませて、隻一騎河原面に進出て、高声に申けるは、〈○中略〉是は清和源氏の後胤に、秋山新蔵人光政と申者に候、〈○中略〉仁木、細川、高家の御中に、吾と思はん人々名乗て、是へ御出候へ、花やかなる打物して、見物の衆の睡醒さんと呼はて、勢ひ当りお撥て、西頭に馬おぞ扣へたる、〈○中略〉丹の党に阿保肥前守忠実と雲ける兵、〈○中略〉隻一騎大勢の中より懸出て、〈○中略〉相近になれば、阿保と秋山と、につこと打笑て、弓手に懸違へ、馬手に開合て、秋山はたと打てば、阿保うけ太刀に成て請流す、阿保持て開て、しとヽ切れば、秋山棒にて打側く、三度逢三度別ると見へしかば、秋山は棒お五尺計切折られて、手本僅に残り、阿保は太刀お鐔本より打折られて、帯添の小太刀計憑たり、武蔵守是お見て、忠実は打物取て手はきヽたれども、力量なき者なれば、力増りに逢て、始終は協はじと覚るぞ、あれ討すな秋山お射て落せとぞ被下知、〈○中略〉角て両方打除て、諸人の目おぞさましける、其比霊仏霊社の御手向、扇、団扇のばさら絵にも、阿保秋山が河原軍とて、書せぬ人はなし、