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志士清談
豊後臼杵に吉田一祐と雲者あり、力片手お以て百斤お挙に重しとせず、鎧は銃玉も穿つこと不能お著、二尺七寸の腰刀、一尺八寸の短刀、厚さ三寸半に作て、男は蛤貝の耳の如にして、挟み抜てこれお振るに、竹お振るよりも軽げなり、一年、薩師豊後お攻る時、身方敗走す、一祐怒声お揚げて、恥しめ励せども、猶披靡ひて不已、一祐疾退て、土橋の前に当て、三間秘の鎗お横たへ、土橋お渉んずる身方お推留んとす、鎗の柲に逃がるヽ者三四十人、一祐鎗の柲お握り、鎧の胸に当て、曳と雲声とともに推還せば、三四十人の者後足になりて、推還さるヽことに十歩計、一祐大に呼て曰、我此にあらば、此橋お渉すべからず、此橋お渉さずば、折節秋水脹て底お不知、此に堕て溺死せんとするか、敵も人なり、我も人なり、怯者負て勇者勝のみ、何ぞ父祀の姓お汗し、子孫に辱お遺す事お不思やと、跳り上り地お踏ならしていなめ立れば、皆引還し擊て薩師お却けたり、