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明良洪範
十六
筒井順慶の家士に、板倉権内と雲者有り、いかなる故にや、億病者也と誰がいひ初めけん、家中は勿論、終ひには隣国迄も評判するやうに成り億病の話しが出ると、筒井家の権内かと、世間で雲様になりし故、権内甚だ残念に思ひけれど、誰彼と雲差別もなく、世間一般の事故致方無く、日お送りけるが、何分心よからざれば、筒井家お立退き、浪人中諸大将の器量お撰み、やがて蒲生家へ出て、拙者義は定めて御聞及びも候はん、億病者の板倉権内にて候、億病者にても御つかひ下さらば、御奉公仕らんと申立たり、居合せたる者、これが億病者の権内かと雲ながら、いと軽侮なる様子にて立て、奥くへ行き、其由言上せしかば、氏郷立出て、其方権内力、何故我に仕へんとて来るやと問ふ、権内答て、億病者お抱へ給ふ君は、外には有らじと存じ、罷出候と雲、氏郷うなづきて則抱へらる、其後氏郷出陣の時、此権内お連られしに戦場にて抜群の働きおなし、大将分の首おにつ取りける、氏郷快然として、吾目鏡に違はずとて、郎座に二千石与へて、物頭にせられける、是より億病者の名消工失せて、諸方へ勇名お轟ろかしける、されば臣の剛億は(○○○○○)、其君の用捨にあること也(○○○○○○○○○○○)と、或人申されし也、