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今昔物語
二十三
比叡山実因僧都強力語第十九
今昔、比叡山の西塔に、実因僧都と雲人有けり、小松の僧都とぞ雲ける、顕密の道に付て止事無かおける人也、其れに極く力の有る人にて有ける、僧都昼寝したりけるに、若き弟子共、師の力有由お聞て、試んが為に胡桃お取て持来て、僧都の足の指十中に、胡桃八お夾みたりければ、僧都は虚寝おしたりければ、打任せて被夾て後、寝延お為る様に打うむきて足お夾みければ、八つの胡桃一度にはらはらと砕にけり、而る間天皇の僧都内の御修法行ひける時、御加持に参りたりけるに、伴僧共は皆通にけり、僧都は暫く候て夜打深更る程に罷出けるに、従僧童子などは有らむと思けるに、履物計お置て従僧童子も不見ざりければ、隻独り衛門の陣より歩み出けるに、月の極て明かなれば、武徳殿の方様に歩行けるに、軽かに装ぞきたる男一人寄来て、僧都に指向て雲く、何ぞ独は御ますぞ、被負させ給へ、己れ負て将奉らむと雲ければ、僧都糸吉かりなむと雲て、心安く被負にければ、男掻負て西の大宮二条の辻に走り出て、此に下給はれと雲へば、僧都我は此へや来むと思ひつる、壇所に行むと思つると雲ければ、男然計力有る人とも不知ず、隻有る僧の衣厚く著たるなめりと思て、衣お剥むと思ければ、麁かに打振て音お嗔らかして、何でか不下しては雲ぞ、和御房は命惜くは無きか、其著たる衣得させよと雲て立返らむと為るに、僧都否や此くは不思ざりつ、我が独行くお見て糸惜がりて、負て行かんと為るなめりとこそ思ひつれ、寒きに衣おこそ否不脱まじけれど雲て、男の腰おひしと夾みたりければ、太刀など以て腰お夾み切らん如く、男難堪く思えければ、極て惡く思ひ候ひけり、錯申さむと思給へるが愚に候ける也、然らば御ますべからむ所に将来らむ、腰お少し妥べさせ給へ、目抜け腰切候ぬべしと、術無気なる音お出して雲ければ、僧都此こそ雲はめとて、腰お緩べて軽く成て被負たりければ、男負上て何ち御まさむずると問へば、僧都宴の松原に行て月見んと思つるお、女がさかしくて此へ負て将来れば、先づ其に将行て月見よと雲ければ、男本の如くに宴の松原に将行にけり、其にて然らば下させ給ひ子、罷り候ひなむと雲へども尚不免して、被負作ら月お詠め、うそ吹て時替るまで立てわ、男詫る事無限りけれども、僧都右近の馬場こん恋しけれ、其こへ将行けと雲へば、男何でか然までは罷候はむと雲ふ〈○ふ恐て誤〉隻に居るお、僧都然らばとて亦腰お少し夾みければ、穴難堪き、罷り候はむと詫び音に雲ければ、亦腰お緩べて軽く成にければ、負上て右近の馬場に将行にけり、其にて亦被負作ら無期に歌詠めなどして、其より亦喜辻の馬場お下り様に永く遣てむ、其将行けと雲、へば、可辞くも無ければ詫て亦将行ぬ、其より亦雲ふに随て西宮へ将行ぬ、如此くしつヽ終夜被負つヽ行て、暁方にぞ場所に返て逃て去りにけり、男衣お得たれども、辛き目お見たる奴也かし、此僧都は此く力の極て強かりけるとなむ、語り伝へたるとや、