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志士清談
越後村上の城主堀丹後守直寄は、堀〓物直政が二男、幼名三十郎、秀吉公の児小姓、後丹後守と更む、〈○中略〉家中に梅田佐五右衛門と雲武士、大坂の城攻に武功あり、其前も名ある者にして、壮力口の厚さ三四寸計の大丈夫筒お上しとぞ、或時丹後法令お出さる、小歌、尺八、男色等禁制とある処に墨お引たり、丹州怒て仕手両人お以殺さしむ、梅田城の縁端に何心なく立たるお、一人よりて短刀にてさす、梅田不騒捕て引よするお、又一人これお刺す、両人お左右の脇にはさみ、二十間余の縁お走り出る、其内にくり付て殺したり丹州其膂力お惜みしとなり、