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当世武野俗談
音羽町石見屋おしげ
音羽町の茶や石見屋と雲有、其女房おしげと雲は、元こゝにて勤めせし女なり、器量もよく、平生物静かにして多く物雲ず、やさしくおとなしき生れなり、此故石見やの室とす、然るに見かけと違て大力持なり、夫お知るものなし、猶力お終に人にみせたることなし、此頃その大力お知ることあり、音羽町のうちに、角力取年寄音羽山峯右衛門といふ者あり、渠が方に若手の相撲取大勢来て居たりしが、或時角力取ども三四人連立、近所お白昼にぞめき廻りける折節、七町目蓮光寺といふ日蓮宗の寺にて、万巻陀羅尼修行有、参詣の男女火し、其所へ件の角力取ども参て、若き女などへつきかゝり、人の邪魔して我が楽とするたはけもの、世上にまた多し、然るに彼おしげも参詣しけるに、小女ひとり供につれて、蓮光寺の客殿縁側通に居ければ、角力取一人来て、彼女房の尻おなでけるに、知ぬふりして居たる故、猶じやうだんおいたしける所お、頓ておしげ其手おとち、膝の下におしかい、力お出しておさへければ、大ばんじやくの如く、巌石お以ておしにかけらるゝとも、是にはいかで増るべき、大の角力取其腕おひしげる計、骨はくだけてみぢんに成かと思はれ、見る内に彼男色真青になり額に冷汗お流し、涙ぐみ物おもいはず、顔おしがめて苦しがる、おしげは顔も替らず、ふところより水晶の長房の珠数お取出し、三宝祖師お拝み、自我偈題目お唱へて、少もさわがず居たりけるお、側より題目講中の麻上下著たる人々来て、達て詫けるゆへ、おしげはゆるしてけり、角力取は危き命お助り逃行ける、是より音羽町のおしげとて、遊客の知らざるはなかりけり、