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源平盛衰記
三十七
義経落〓越事並畠山荷馬附馬因縁事同〈○元暦元年二月〉七日の暁、九郎義経は鷲尾お先陣として、一谷の後〓越へぞ向ける、〈○中略〉辰半に〓越一谷の上に鉢伏礒の途と雲ふ所に打登、〈○中略〉時既に能成たり、追手の力お合せんとて見下せば、実に上七八段は小石交の白砂也、馬の足とヾまるべき様なじ、歩にても馬にても、落すべき所に非ず、〈○中略〉軍将宣けるは、一は馬の落様も見、一は源平の占形なるべしとて、葦毛馬に白覆輪白ければ、白旗に准へて源氏とし、鹿毛馬に黄覆輪赤ければ、赤旗になぞらへて、平氏とて追下す、〈○中略〉源氏の馬は這起つヽ、身振して峯の方お守、二声嘶、篠原はみて立たり、平家馬は身お打損じ、臥て再起ざりけり、城中には之お見ら、敵のよすればこそ鞍置馬は下らめとて、騒迷ける処に、御曹司は源氏の占形こそ目出けれ、平家の軍左様あるべし、人だに心得て落すならば、誤更にあるまじ、落せ〳〵と宣へども、我だに恐て落ねば、人は怖てえおとさず、白旗五十流計梢に打立て宣ひ、けるは、守て時お、移べきに非、礒お落すには、手綱あまたあり、馬に乗には一つ心、につ手綱、三に鞭、四に鎧と雲て、四の義あれ共、所詮心お持て乗物ぞ、若殿原は見も習乗も習へ、義経が馬の立様お本にせよとて、真逆に引向、つヾけ〳〵と下知しつヽ、馬の尻足引敷せて、流れ落に下たり、〈○下略〉