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澀柿
頼朝佐々木に被下状
次郎兵衛〈○佐々木定重〉事まことしくは思召ね共、世のならひさる事もなからむ哉、不便の事也、一方ならぬ心中ども、思召やらるゝ也、わかき者のくせといひながら、余に心とく、はやりたる者にて有と、御覧せしに、案のごとく、心みぢかく、物さわがしくて、父兄弟にも咎おかけ、天下の大事ともなす也、結句は身も終にけるにこそあんなれ、事の次でなれば、仰らるゝぞ、定綱は猶も子共お持たれば、いひおしへよかしと思召也、武士といふ者は、僧などの仏の戒お守るなるがごとくに有が、本にて有べき也、大方の世のかためにて、帝王お護まいらするうつはもの也、又当時は鎌倉殿の御支配にて、国土お守護しまいらする事にてあれば、錐お立るほどの所おしらんも、一二百町お持ても、志はいづれもひとしくて、其酬に命お君にまいらする身ぞかし、私の物にはあらずとおもふべし、さるについては、身お重くし心お長くして、あだ疎にふるまはず、小敵なれども侮心なくて、物さわがしからず、計ひたばかりおするが能事にて有ぞ、ねたさはさこそ有けめ共、はづかしかるべき、武士にもあらず、何にもたゝぬ宮仕法師と雲、賤き者に寄合て、身お損じぬるは、心短きがいたす所也、〈○中略〉宮仕法師の故より事起りて、京より流されまいちせたること、見ぐるしく御面目なくて、公私の名折にはあらずや、隻いちはやき咎一つより起たる也、定綱は宮仕も勲功も有がたく、御心安も思食ばこそ、かたへもあらそひし箭開の餅の二の口おも給て、他の人の恨おもおひたりしか、又近江の国おも預たびぬれば、就中件の国は、都もちかく、聞る山三井寺もあれば、傍の狼籍、向後とてもなからんや、能々案じて、はからひて事おも過さず、さればとていふがひなくもせず、かまへてなさけ有て、国の者どもにも、親の様におもひつかるべし、物おとらず、人にもすかされず、たゞしく行ならば、おのづから威勢と成て、人にも用られて、自然に国も治、法師ばらなどにも、侮らるまじき也、わが身は、国の撿非違使ぞかしとて、其事となく、人はおちおそれんずると、勝にのりて、小事おとがめて、威おふるはんとし、国の者共おも、所従などの様におもひなして、振舞事あらば、後には能事あらんや、かへて恥に成べき企也、都近ければとて、京のなま人にはし〳〵、僧や児などに交遊などして、きしも智恵ふかき京人どもに、心きはおもみえしられて、することも雲ことも、何ばかりの事かあらんなど、さわぐりみえらい間敷也、武士は鬼神やらん、何やらん、さこそふかき心中に、案おこめて持たらめと、人にうとく思はれんのみにこそ、君の御為も弥然べけれ、返々も鎌倉殿御家人にそ、久敷も又子どもの末まで続せんとおもはゞ、心お長くしてつゝしみてよかるべき、筋なき事仰たりとおもはで、此御文およく〳〵見まいらせて、子共にも面々雲おしへよとの仰にて候也、仍執達如件、
閏十二月廿八日 盛時奉
佐々木太郎左衛尉殿