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細川幽斎覚書
細川幽斎は文武兼備なる事は、世にしる所なり、其自筆にて書しるされし覚書お、彼家士三宅某方に伝へたり、
軍中〈並〉侍の心得にも可成覚書〈○中略〉一人には何ぞすき候事有之、弓、鉄砲、或馬、鞠、兵法、料理、乱舞、歌、盤上、鵜、鷹、数寄の道、武士の道、何にて も好事有之、我好候事は、かりそめにも咄す物にて候、又人の咄候にも、我好の事候へば、聞申候 なり、又人によち、武道の咄おばいたし、人の咄すおも、面白がり聞は、よき心懸の者と可存候、大 形人々の心中は咄し、或は愛する友お以ても知れ候と、松長と申名人の申され候、誠に相違(本まヽ)と 見え候、とかく諸芸とも我心に不染事はならざる事にて候間、其心得可有事、
一常々ものお能申候ても、戦場にては、有無の事申さぬ人有之候、又敵合の遠き程は、何かと口お きゝて、敵近くなり候ては、物いはざる人候、左様に候将は、常々いか程口おきゝ、物お能申候て も、用に立ざる事にて候、殊に敵遠きほどは物お申、敵近くなり合戦前にしほれたる体にて居 候事、殊の外見苦事にて候、常にはちと無口に候共、戦場にては諸人も聞届候様に下知お致し、 物の埒お申わけ候は、常に物およく口おきゝ候より増し候事、〈○中略〉
一士は信心お不取しては不協事に候、殊に愛宕八幡は別て信仰有べく候、併火の物たち抔は必 無用に候、我等若き時、火の物たちお致し、こりたる事候、兎角物お食はずしては何事も成がた かるべき事、〈○中略〉
一戦場にて召仕候者、高名致し参候はゞ、頓て呼出し、言葉掛褒美有べく候、作然一度に大分遣し 候へば、跡より、無比類手柄お致し、鎗お合、甲付の首など取候て参る者有之時、前の者に大分褒 美遣し、勝れたる手柄者に少し遣候得ば、其身の恨は不及申、諸朋輩まで恨に存候間、可有其心 得事、
一召仕候者に申付候儀おば、堅く申付、又常には言葉おも懇にかけ可召仕候、左様に無之とて、侍 程の者圭人の先途お見捨る事は、有間敷候へども、懇に致し置候得ば、同じ捨候命おもおしく 不存、忠節お致すべく候、然時は常々召仕様肝要に候事、一信長様御軍法は、御敵お仕たる者は、子々孫々迄も御はたし其跡おもかへす程に、稠敷被成候 て、天下お御治め被成、内裏の御修理等仰付られ、王法の衰へたるおも御取立候て後、子細有之 候て、上京さはき払被成候とて、京の地子御免被成、万事賞罰正く仰付られ候故、万民に至迄不奉仰といふ事なし、作然一度御敵仕候者御詫言申上、御旗下に被成候ても、御心おゆるされず、 御にくみ浅からず候故、謀反人多く出来候、然る時は強き計にてもならざる事に候、右之段大 閤よく御覧被成、御敵お仕候者は、稠敷被仰付、又御詫言申上、御旗下に成候得ば、御譜代同前に 御懇に被成、御心置かれざる様に被成候故、昨日迄御敵お仕候者も、身命お捨、忠節お致すべき と存候故、むほん人も無之候て、早く天下お御治め被成候、右両大将の御軍法、かやうにうらは ら違ひ候、此心持は小身の召仕の者にも可有心得事、
一男道のあまり律義なる計にても不盛候、ちと人おだしぬく様に心懸ず候ては、すぐれたる手 柄も成間敷候、併人参候はでは、不成事に可有候条、左様の所は様子次第たるべき事、一若きもの常々仮初にも、ざれたる咄仕間敷候、左様に候へば、諸人浅く見るものにて候、手柄お も致し候衆、又年寄衆に立交り、武用の咄おも尋聞候へば、其の身の後学にもなり、又脇よりも おも〳〵敷みゆるものにて候事、〈○中略〉
一大小便常にゆる〳〵と居つけ候へば、くせに成り候、陣等又はいそがしき時も、懸合にならざ る物にて候、殊に常々御奉公のさわりにも成ものにて候間、是は常々のたしなみにて、なるべ きものにて候事、〈○中略〉
一軍陣法度肝要に候、不法度にては、何事もならず候、殊更ぞうだんなど申合候へば、合戦心にそ まず、左様にさわがしき体お、敵見候へば、其まゝ合戦仕掛るものにて候、左候へば必越度お取 申候、又いかにもしんにかまへしづまりたる備には、敵も仕掛ざる物にて候間、其心得有べき 事、〈○下略〉