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源平盛衰記

小松殿教訓父事
小松殿〈○平重盛〉は、弟の殿原に向て、いかに加様のひけうは結構せられ候ぞや、縦入道殿こそ老旄し給て、あらぬ振舞あり共、今は各こそ家門おも治め、惡事おも可被宥申に、相副たる御事共候哉と被仰ければ、宗盛已下の人々苦々敷そヾろきてぞ見え給ける、内大臣は中門廊に立出給ひ、さも然べき侍共の並居たりける所にて仰けるは、重盛が申つつ事共、慥に承りつるにや、去ば院参の御共に出ば、重盛が頸の切れんお見て後に仕べしと覚るはいかに、今朝より是に候て、加様の事共協はざらんまでも、申ばやと存つれども、此等の体のあまりに、直騒ぎに見えつる時に帰つるなり、今は憚る処有べからず、猶も御院参有べきならば、一定重盛が頸おぞ召れんずらん、各其旨おこそ存ぜめ、但さも未仰られぬは、何様成べきやらん、去ば人々参んやとて、又小松殿へぞ被帰ける、