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今川記

今川了俊同名仲秋え制詞条々
一不知文道武道終に不得勝利事、
一好鵜鷹消遥、楽無益殺生之事、
一小過輩、不遂糺明令行死罪事、
一大科輩、為晶負沙汰至宥免之事、
一貪民、令没倒神社、極栄華之事、
一掠公務重私用、不恐天道働事、
一先祖之山庄寺塔敗壊、荘私宅事、
一令忘却居父之重恩、猥忠孝之事、
一不弁臣下善惡、罰不正之事
一企過乱両説、以他人愁楽身之事、
一不知身分限、或過分、或不足之事、
一嫌賢臣、愛佞人、致非分沙汰之事、
一非道而富不可羨、正路而衰不可慢之事、
一長酒宴遊興勝負忘家職之事、
一迷己利根、就万端嘲他人事、
一客来之時、構虚病不能対面之事、一武具衣裳、己は過分、臣下は見苦事、
一好独味不能施人、令隠居之事、
一貴賤不弁因果道理住安楽之事、
一出家沙門猶致尊崇、礼可正之事、
一分国立諸関、令煩往還旅人事、
一臣如知之、君又可為同前事、
右之条々、常に心にかけらるべし、弓馬合戦嗜事、武士之道めづらしからず候間、専一に可被執行の事第一也、先可守国之事、学文なくして政道成べからず、四書五経其外の軍書にも顕然也、然者幼少之時よりも道のたゞしき輩に相伴ひ、かりそめにも惡しき友に不可随順、水は方円の器に随ひ、人は善惡の友によるといふ事実哉、援お以て国お治る守護は賢人お愛、貪民国司は佞人お好よし申伝也、君の愛し給ふ輩お見て、其心おうかゞひしれといふ事也、古言にも其人不知は其友お見よといへり、されば己にまさる友お好、己におとる友おこのまざれ、求友須増吾、似我不苦らず、是は惡友お愛する事なかれといふ事也、一国一郡お守身にかぎらず、衆人愛敬なくしては、諸道成就する事かたし、第一合戦お心にかけざる侍は、人にすかさるよし名将いましめおかれる事なり、先我心の善悪おしり給ふべきには、貴賤群集して来る時はよきと思ふべし、招とも諸人うとみ出入のともがらなき時は、己が心の行たゞしからざる事おしるべし、さりながら人の門前に市おなすにも二種あるべし、無理非法の君にも一端の恐有て、又臣下無道にして民お貪、謀略のともがら申掠によつて、権門に立くらす事あり、如此の境およく〳〵分別して、臣下の猥お糺し、先従お守、憲法のさたいたすべき人お、余多めしつかふべきなり、心得大かた日月の草木お照し給ふがごとく、近習にも外様にも、山海はるかにへだゝりたる被官以下迄も、昼夜慈悲忠罰の遠慮お廻し、其人の器量に随可召仕者也、諸侍の頭おする人、智恵才覚なく油断せしめば、上下の人に批判せらるゝ事有べき也、隻行住座臥、仏の衆生お救と、詰法に演給ふがごとぐ、心緒おくだきて文武両道お心に捨給ふべからず、国民お治事、仁義礼智信の一つもかけてはあやうき事成べし、政道お以て科お行て人の恨なし、非義お構て死罪せしむる時は、其科弥深し、然ば因果其科難遁、専一臣下忠不忠の者お分別して、可恩賞事肝要也、莫大の所領お持ても、妻子以下無益の働に私用お構、弓馬無器用にして人数おも不持輩に、所領お宛行事無益たるべし、諸家の儀、先祖より知行不相遣といへども、時の主人の心持によりて、威勢多少お振事、専ら合戦の道お玩び、常に文武二道おわするべからず、是一もかけては、貴賤の善惡おしらずして、天下の嘲お恥ざる儀、口惜かるべき次第也、仍壁書如件、
応永十九年二月日 沙弥了俊
是は了俊の鹿苑院殿様御代に、讒言により、遠江国に隠居有りて、御弟の仲秋へゆづり給ひし時、治部少輔殿、政道惡敷して、国民どもうとみけるよし聞召て、仲秋の後見高木彦六入道弘季お以て、此条々お書立て、遠州へ送り給ひしかば、治部少輔殿大に恥ぢ給ひ、政道お改め身おつゝしみ、民お撫、忠臣お愛し、佞人おしりぞけ給ひしかば、諸子首おかたむけ帰依しける、其徳天下にかくれなくして、当公方義満公、京都へめし上せ、仲秩お侍所に補して、出頭隙なしときこえし、然しより此かた、了俊の壁書と号し、諸家是お賞玩し、天下に流布しけるとかや、是当家の亀鑑なり、誠に万代不易の庭訓なるべし、就中当家代々におよんで、此け条お用ひて、ゆめ〳〵背くべからずよし、範政の御遺書にもしるされたり、
以上