[p.0176][p.0177]
黒田家譜
附錄
長政遺事
一忠之幼少の時、介保として林五助お附置れける、或時忠之の鷹狩に出給ふ掟お書て、五助に賜 る、其書に曰、

一右衛門佐鷹野に可参候は、小河内蔵之助に申候て、代官衆に申付、赤飯仕、不残下々迄給させ 可申事、
一酒お持参候事、堅法度可仕候、並頭みすい筒も同前の事、
一右衛門佐弁当、汁下菜二つ可申付事、
右之趣相背間敷候也
慶長十九年二月十二日 長政判
又五助に賜る書中に曰前後略之一めしの喰様以下仕付方、権之丞にならはせ可申候、
一手習油断有まじく候、文面到来見届候、
一よみ物之事、論語相済候由、左候はゞ大学にても三略にても読せ候様に、吉祥院へ可申候、法印 煩候時は、等叔可然候、五郎太夫玄春も苦間敷候、法印相談可有候、
一法印に祈念所禱の事共、習候儀心あしく候、成人の後仏法お聞候て、禅おさとり生死お分別す べきは武士の肝要に候、身のあやまちおのがるべきとて、自身にじゆずおすり、神仏に宿願く一みて、山伏の様に成候は散々の事にて候、
一論語、我等の赤表紙の本にて読候由、本損不申候様可仕候、孟子も写置候、大学中庸は道春より 今度写置候間、下し申候、七書は前々より之赤表紙にて可然候、
一磐上之あそび堅無用に候、其外はいか様にもぬし次第あそばせ、心のちゝけぬ様可仕候、
此外忠之の幼少より、様々心お用ひ給ふ教訓おも、あげて計ふべからず、事多かればもらしつ、